日本人はまだ、JAL再生の奇跡を知らない。

2024年1月2日、羽田空港で2つの飛行機が衝突する大きな事故が発生しました。1つは滑走路に進入しようとしていた海上保安庁の飛行機で、もう1つはちょうど滑走路の真上に着陸しようとしていたJALの飛行機でした。この事故により、海上保安庁に乗っていた複数の隊員が命を落としました。しかし、JAL側の飛行機には乗客と乗員を合わせて300名以上の方がおり、火の手が上がる飛行機から脱出し、数分のうちに全員が退避することに成功しました。

当時は、連日連夜羽田空港で起きたこの事故のニュースが取り上げられ、飛行機の外壁に書かれた「JAPAN AIRLINE」という看板が炎によって焼け尽くされる様子が毎晩放映されました。誰もがあの日のJALという会社に再び訪れた悲劇に肩を落としていました。状況は絶望的だと思われていましたが、JALのスタッフたちは全く前触れもなく起きた事故に勇気を持って対応し、全ての乗客の命を守ることができました。JALは、どうしてこのような絶望的な局面においても、飛行機の中が煙で充満しパニックが起きている状態でも、お客様を第一に考えて安全に飛行機の外へ脱出させ、そして最後は全スタッフたちも巻き添えになることなく退避することができたのか、令和におけるJALの奇跡の物語です。

この事故をきっかけに、JALに対して賞賛の声がSNS上で集まりました。多くの人が今後はJALの飛行機にしか乗らないと応援するコメントを残しました。私はその声にとても驚きました。私が子供の頃はJALは評判の悪い航空会社だったからです。

「JAL は サービスが良くない」「JAL は そっけがない」「JAL は親切じゃない」私の両親はそう言って、飛行機に乗る時はいつもANAを選んでいました。そして、実際に私もその頃からの癖でいつも乗る飛行機はANAばかりです。

JALは、お客様のために再び仕事をする組織になるために、どのような取り組みを行ったのでしょうか。その答えは、2009年のJALの破綻まで遡ります。

JALは一度、破綻した。

JALは、巨額の負債を抱えて破綻しました。当時の負債総額は2兆3221億円であり、戦後最大の負債を抱えての倒産でした。JALは民間企業であり、通常は政府が介入して救済するべき企業ではありません。しかし、JALは非常に大きな負債を抱えており、取引先も多く、航空業界だけでなく日本経済にも大きな負の影響を与えることから、国が介入して立て直すことになりました。当時、政権交代が起こった時期であり、民主党の鳩山政権は救済を政策の一環として掲げていました。

JALの再建を任されたのは、京セラの会長である稲盛和夫さんです。稲盛和夫さんは、JALの会長に就任する前に京セラやKDDIの立ち上げに携わり、経営の神様として尊敬を集める存在となっていました。JALの会長に就任した稲盛和夫さんは、取り組んだことはただ一つ、社員の意識改革だけでした。

当時のJALには、民間企業とは思えないほど役所のような仕事のスタイルが蔓延していました。

例えば、年間の予算を本部長同士で奪い合うため、組織内では互いに政治闘争を繰り広げることになっていたり、互いに仲が悪かったりしている状態でした。あくまで経費というのは予算を消化するという発想であり、利益に対する意識が薄かったのです。「利益を出すと国土交通省から圧力がかかり、運賃を下げさせられる」と抵抗する社員も現れました。これまでの社内改革も中途半端な状態で頓挫することが何度もあり、社員の間には「何をやっても無駄だ」という気持ちがはびこっていました。

JALの経営と社員たちの矛盾した行動が会社をどんどん高コスト体質にしていたのです。

JALを蝕んだ「お役所発想」

当たり前の話ですが、民間企業の経営とは、売上を上げて費用を抑えることです。そして、蓄積された利益を新たな投資に回すことで、プラスの循環を生み出すことです。しかし、JALは全く逆の発想で経営されていました。

売上として入ってきたお金を、どの部署が使うか、どう使うかということばかりに固執してしまいました。一方で、利益はほとんど出ず、経営は火の車。歴代の経営陣は「コストを抑えろ」と現場に明示、現場ではお客様に対するサービスを減らすような事態が常態化していました。さらには、利益がないから設備の更新もできず古い設備のまま運航せざるを得ないなど、様々な矛盾が噴出していました。ほとんどの社員が、お客様のために仕事をするという意識を持ち合わせていませんでした。その反面、社員たちは心のどこかで、「この会社は間違っている」と感じてもいました。

JALが倒産した原因は誰かのせいではありません。お役所仕事のような発想で民間企業を運営した矛盾が最終的に破綻という結果を招いたのです。悪いのはそれまでの文化や社風だったのです。

JALという巨大企業には、経営に必要な資源が十分に与えられていました。飛行機を所有しています。また、路線も保有しています。安全に運行するためには、優れた社員が必要です。これらの経営資源が揃っていれば、会社は順調に運営されるはずです。

それだけ資源が揃っているにも関わらず、他の競合企業に対して大きく見劣りする結果しか生み出すことができなかったのは、ひとえにJALの中にいる人間たちがきちんと正しい方向へ仕事をすることができていなかったと稲盛和夫さんは考えていました。

稲盛和夫による「意識改革」

稲盛和夫さんらのチームが行ったのは、リーダー教育とJALフィロソフィンの設計です。企業文化は外部のコンサルタントが作ることができるものではありません。そのため、稲盛和夫さんたちはリーダーや経営幹部を集めてコンパを行い、これからの経営のあり方について徹底的にディスカッションを行いました。一人一人の意識を、経営そのものに向けるように作り直していったのです。それまでは、本部や部署、あるいは個人のために活動していた社員たちの意識を、お客様のために、そして会社の経営のためにどうすればいいかを考える方向に変えていきました。

人がお客様のために経営のためにどうすればいいかを考えるようになったら、その時バラバラだった力は一つにまとまり、会社を大きく動かすことができるようになります。これまでは、数字への意識が乏しく、月次決算が2ヶ月後にようやくわかると言った有様だった経営は、飛行機が一番飛ぶことを飛行機が1機飛ぶごとにその収益がすぐにわかるようになりました。そして、その数字をもとに、社員たちは自ら判断し、必要のないコストは抑えてお客様へのサービスを磨くことができるようになりました。

JALフィロソフィには、「一人ひとりがJAL」という言葉があります。JALを構成するすべてのメンバーが、JALの経営者であり、社員の幸せを願い、お客様の幸せを願う会社だという意味です。

このとき、JALは、お客様を幸せにするための会社へと大きく変貌しました。

JALの軌跡を、日本人はまだ知らない。

ことし1月2日、燃え盛る飛行機の中で、JALの社員たち300名がお客様を機内から脱出させることができた背景には、JALの経営復活の物語があったのです。

JALが経営破綻して復活してから10年以上が経ちました。もうほとんどの人はその物語のことを忘れてしまっています。

JALの経営はあまりにもずさんに行われていました。社員たちは自分たちに都合のいいように費用を計上しようとしてきました。また、費用というのは予算という形で互いに奪い合うものだというような誤った認識を持たせてしまっていました。

この話を聞いて、「ひょっとして自分の会社もそうかもしれない」と思ったことはきっとたくさんいらっしゃると思います。まだほとんどの企業がJALの奇跡から何も学ぶことができていないということです。一冊の本をご紹介します。稲盛和夫さんの秘書を務めていた大田嘉仁さんが執筆した『JALの奇跡 稲盛和夫の善き思いがもたらしたもの』という本です。知事出版社から発売されています。

この本には、JALの復活と社員の意識改革の歴史が詳細に描かれています。この本を読むことで、自分の会社やチームが正しい意識を持ってお客様と向き合っているかどうかを考えるきっかけになれば幸いです。