中小企業の経営者がM&Aで会社を手放すことを悩んでいるとき、考えてほしいたった一つのこと
こんにちは、IT経済ジャーナリストの銘苅拓也です。普段は中小企業のコンサルタントとして多くの企業の経営相談を受け、実際に現場に入って中小企業のマーケティング戦略や業務の効率化などを支援しています。また、ITや経済学、特にデジタル経済学の知見を皆様に伝え、リテラシーを高める活動も行っています。
今日は、中小企業の経営者がM&Aで会社を手放す際に考えることについてお話します。
市場原理と経営者の葛藤、そして覚悟
私は経済ジャーナリストとしての立場から、基本的にM&Aに賛成の立場です。なぜなら、日本は人口減少社会であり、人口が減少する中で中小企業が現在の数と同じだけ存在し、同じだけの生産を続けると、価格の低下や崩壊が引き起こされるからです。ですから、サプライヤーである中小企業の数は減少させる必要があります。
さもないと、あらゆるものの値段がさらに下がり、これまでのデフレ問題をさらに悪化させる危険性があります。まるで隣り合うガソリンスタンドが、互いに経営破綻しあうまで値下げ競争を繰り広げるかのような、恐ろしい未来が待ち受けています。
ですから、うまく経営ができなくなってしまった中小企業は市場から退出すべきですし、もし市場から撤退すると企業そのものが存在できなくなるのであれば、会社を同業他社に企業を売却することや廃業することが基本的な考え方です。それが市場の原理だからです。
M&Aを考える局面とは、それほど切羽詰まった状態のことをいいます。
とは言うものの、一人の人間として100人以上の経営者さんの相談に乗ったり仲良くしたりしていると、あまりに冷酷な考え方だとも思います。私の個人的な感情としては「まだできることがあるなら、あきらめてほしくないな」と思う部分もとてもあるのです。
経営者だって頑張ってるのですね。会社には50年、100年続いてきたプライドと歴史、伝統もあります。のれんがあり、看板があります。
いまは、経営成績が悪いかもしれません。しかし、地域の人々や働いてきた人々、そしてお客様からはとても好まれる商品があります。ブランド価値があります。
M&Aで会社を売却するということは、そうした会社のレガシーを全て手放すことでもあります。
合理的に考えれば会社を売却するのが良いかもしれませんが、会社を残しておきたいという一縷の希望も信じたい。
だから 葛藤があるのです。
会社を他社に売却することで、皆が幸せになる可能性もあるかもしれません。給料が上がったり、雇用が保証されたり、もっと大きな仕事を手掛けることができるかもしれない。しかし引き換えに、会社の遺産や伝統、文化、看板など、大切にしてきた思い出がすべて失われてしまうリスクもあるのではないかと考えると、難しい。
私は、そういう局面にいる経営者さんこそ、その手腕が光る時、発揮される時じゃないのかなと思います。「どこまで本気で会社の問題に向き合えるか」というところです。
つまり覚悟です。
M&Aは確かに優れた手段ですが、最終手段です。
まだ経営者が心から取り組むという気力があるのであれば、本気になって取り組むことで会社の業績を好転させる可能性も十分にあります。
中小企業の再生を描いたドラマ『陸王』
例えば、池井戸潤さんが書いた小説で、TBSでドラマ化もされた『陸王』という作品があります。主人公は埼玉県行田市にある足袋メーカーです。
この会社はずっと昔から同じ足袋ばかり作ってきたのですが、足袋の需要っていうのはどんどん世の中から減ってって、みんなスニーカーやウォーキングシューズ、ランニングシューズといったものに履き替えて行ってしまいました。だから、業界が小さくなってって、倒産する会社が増えていって、最後のこうほとんど生き残りみたいな状態の会社です。
この会社がいよいよ経営が行き詰まり、銀行から融資を打ち切られるという寸前になった時、物語が始まります。社長は苦悩の末、新しい商品の開発に乗り出して足袋の技術を応用したランニングシューズを作るというアイデアを思いつき、それを目掛けて全力疾走していきます。
商品開発も困難の連続です。一時、あまりに製品開発も市場開拓もうまくいかなくって、残念ながらM&Aで会社を売却するということが頭をよぎったことさえあります。それでも自分たちの努力や商品というものを信じて、開発に専念し、実際に高く評価される商品を作って、しまいにはランニングシューズ業界を席巻したという成功物語です。
もちろん、これは小説ですが、経営者が苦悩するシーンが本当にたくさん出てきます。そのたびに社長が何を考えているのかわからなくなり、社員が不安になったり、逆に社長の思いが伝わって社員たちが熱心に働くようになったりする姿が描かれています。私はそれが中小企業のリアルな姿だと、様々な現場を通じて思っています。
一番大事なことは、会社の存在意義と社員を信じること
市場の論理(あるいは経済学の論理)と戦うべきではありません。中小企業が価格決定権の主導権を握ることはありません。長期的には価格は「神の見えざる手」という需要と供給のバランスから自動的に決まるようになっています。
そのような市場の前提の下で事業を継続するためには、会社が世の中に対して高い付加価値を提供し、高い利益率で未来に向けて投資を続け、新しい商品やサービスイノベーションを生み出し続けるという気概が求められています。
一番重要なことは、「自分たちは世の中のためになっているんだ」と、その価値を心から強く信じていることです。もっと言えば、会社の存在意義と社員を信じていることです。他人の評価に左右されるものではありませんし、市場の評価を待つだけではありません。自分たちのプライドなのです。
自分たちはこれだけのことをして世の中に対して素晴らしいものを生み出しているという自負があれば、事業を変えていくことができます。
非効率な業務プロセスや赤字になるような商品からの撤退、戦略的な撤退、そして自分たちの強みを生かした商品開発など、さまざまな展開が可能です。だから諦めずに頑張ってほしいのです。
自分たちがとても大事な存在であり、自分たちの英知を社会に対して活かせるポテンシャルを持っていると心から信じることができるのであれば、一度M&Aという選択肢を忘れて目の前の業務課題、事業課題、経営課題に向き合ってほしいと思います。
そういった心を持っている人たちには、手を差し伸べてくれる人がきっと現れます。世の中にいるたくさんの経営コンサルタントたちは、そういったぶれずに実直に会社の課題と向き合う経営者様を、様々な方法で助けたいと思っています。
会社を信じていない経営者を誰も助けてくれない
逆に言えば、そういった違いもなく、努力もせず、なんとなく会社に問題があるという安易な発想だけでは、何一つうまくいきません。会社の業績は右肩下がりであり、最悪の場合は倒産してしまう恐れもあります。
事業再生の局面に入ると、多くの場合、経営コンサルタントを呼ぶことになります。しかし、そのような経営コンサルタントは実力を発揮しないことが多いです。 経営者に対して何か重要な提案をするつもりはありません。
なぜなら、会社の価値を信じていない経営者と一緒に仕事をしたくないからです。
会社の価値を信じていない経営者は、その提案の重要性を認識できず、提案が実行に移されることもありません。会社も何も変わらず、悪い業績がつづく。しまいには、責任を押し付けられる可能性さえもあるからです。コンサルタントはそういった人を心から助けたいとは思いません。
コンサルタントの話は頭でっかちかもしれません。「そんなこと言うならお前がやってみろよ!」と暴言を吐きたくなることもたくさんあるでしょう。しかし、経営(マネジメント)についての専門的な知識、技術、経験を持っています。その能力を最大限に活かすことが社長としての責任なのではないかなと思います。あなたの周りにも優秀な経営コンサルタントがきっといます。
もしあなたが今、M&Aで会社を売却することに真剣に悩んでいるのならば、「この会社は世の中にとって無くてはならない存在だ」と心の底から思えるか、考えてみてください。
会社の存在意義と社員を信じることができる経営者は、協力者たちが集まり、会社を大きく変えることができると私は思います。